てっぺんにて

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     飛騨川を見下ろして、すべて終わる。
    60ヘクタールのうち、30ヘクタールほどの応援というかたちでのお仕事でした。
    この後、山を下りて、真昼間の3時から、お店に行き、{けいちゃん}{とんちゃん}という飛騨地方のB級グルメをつつきつつ、打ち上げという名の宴会。真昼間からの酒はよく回る。そのまま宿舎に帰り、2次会という名のまた宴会。とうとう何時に寝たのか覚えておりません。たくさんの人と仕事をするのは楽しいね。

    来週は、福井県の大野市に入ります。
    今回と同じ、仲間の元請会社の、同じ山の仲間とまた、仕事をします。
    それが終われば、しばらく、あいておった保安伐採がまた始まりそうです。





    福井県永平寺付近の国有林にて

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       久しぶりに、山仕事をしてまいりました。
      およそ、4.5ヘクタールの間伐、テープ巻きという内容。

       仲間の仲間の、知り合いの知り合いの、というような株式化した集まりの入札仕事の、我らは下請け応援部隊というような塩梅で、これからも北陸、近畿北部あたりで、入札取れれば参戦する同盟軍の初ゲストとして参加してきました。

       保安伐採や空仕事の合間を縫う、仕事としてやって行こうと思っています。

       今回はG蠅梁綣茲隆蕕きで、林業を志す林業学校生3人と専門学校生1人とプロ8人、合計12人かな?多すぎてはっきり覚えていないけれども、1日でテープ巻きを終え、ワッーと、山から帰ってゆくところを写真に収めてみました。山仕事についてはいろいろ思うことがありますが、そんなことはどうでもいいことでして、とりあえずは、こうして仲間と入る山は、なかなか楽しいものがありました。今度は敦賀市付近と、岐阜の下呂あたりに出かけてみたいと思っています。こうして横のつながりから生まれ沸き出てくる、昔取った杵柄仕事も楽しいと思いました。
       お互い理解しあえていて、利用し合えるいい仲間ってのは、なかなか本当に、世の中にはいないものっす。そのことだけでもありがたいことなのに、ちゃんとマネーも動く、このタフな関係。最高っす。
       なんとなく、状況は違えど、写真は、ノルマンディー上陸作戦の雰囲気だな、と、勝手に思っていました。

       そんで、この写真の中の、大事な仲間の一人は同期でして、小学校の作文の時、{将来の夢}というタイトルで、ウッドストックがしたい。と書いた少し変わった人がいて、今でも定期的にライブしてる現役のラッパ吹きがいます。こやつが仕事を企むから、いるから、俺もまた山に帰ってもいいかな。と思わせてくれるのです。こやつがすべて、入札を担当し、みんなで仕事を作り出して、食っていこう。と、言うから力を貸さなければならなくなるんだな。頼もしくもあり、かしこい人なのである。



      やまんばのやま

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          2週間、木だしで遊ぶ。
         伐倒をして、小型の集材機を据えて、グラップルの届かない場所の、間伐材を出そうということで、補助金対象外の集材機集材でしたけれども、されども、出した木の立米数に対しては、補助金が出るんだそうで、ためしにやってみるという話の中ではあったけれど、やはりそこは出せば出すだけ金になるしで、そのまま懐に帰ってくる。あまり手間もかけてられないし、期間も限定してあるしで、クイックに、どこまでやれるか、いろいろなやり方をやってました。そして、元請会社さんの実績や、県や市やに対しても、うちはこんなことも出来ますという宣伝づくりに、協力できたことは誇りとして受け止めておきます。

         仕事そのものは、集材業務の分かりえている元請の職人さんNさんと2人での作業でしたから、別にイチから説明する必要もなく、お互いが持ってるスキルが、うまくかみ合い、様子を見ながら、どちらかがどちらかにあわしていくという、たいへん都合よく、とても大人な感じで、仕事が進んでいきました。集材業務は、学んだ親方や、その地方地方で、道具の呼び方が違っていたり、身についてる言葉が通じなかったり、そのことさえ歩み寄ればなんら問題はなく、また、その時の業務の中で、2人がわかる言葉を作り出してゆけばいいから、それはそれでいい。集材機に乗る人間と、山でトン掛けする、指示を出す者との呼吸が自然と生まれだして行くものなんです。ちなみにNさんは紀州での集材経験で、ぼくは丹後の集材経験。紀伊半島と丹後半島、太平洋と日本海の、スキルの融合です。

         山仕事は、息が合えば、そのように、一つ一つの作業はとても面白い一面を持ってるんですが、山仕事を取り囲む行政やなんやかやを考えるとげんなりとしてしまうものなんです。誰かが陰で操作してるのが丸見えなんですね。木を必要としていない世の中で、国の補助金を目当てに、いわばぼくたちの税金ですね。それを使って、ちびちび、行政に振り回されながらやりくりしてるというのが現状のようですね。そんななかでも森林組合は優遇されていて癒着しすぎですね。

         久しぶりの木だしは、なつかしくもあり、昔を思い出しながら、林業に携わりだしたときの頃を、新鮮な気持ちで思い出していました。なんか感傷の業務でした。あの頃の、木漏れ日のようなきらめきや、むせ返るような草の匂い、樹を初めて倒した時の興奮や、山の空気の濃さ、水の透明感や、土の匂い。など、何もかもが新鮮で、気持ちよく汗をかいていた10数年前には、もう、戻れないような気がして、たまらなく寂しさだけが貯まる、産業になりつつあるようです。
         









         それでも、民間で、頑張ってる会社がいるというのも、事実です。
         {木を出せよ}という国の方針は、需要が回転しなくなり、だぶつき、木材価格もさらに下がってきてるのだそうです。{木を出せよ}の方針には、出した木には補助金がでます。しかし、補助金をあてにしないで木を出して市場やチップやベニヤに売ることだけで生計を立ててきた、これまでの素材業者さんたちはたまったもんじゃありません。そして、そのような、素材業者に対して、言うにこと欠いて、国の説明は、補助金は、山から林道まで出せば補助金が出るんです。市場に出そうが、山でそのまま腐らそうが、いいんです。我々は、とりあえず、山から林道まで木を出せば、出した立米数に対して補助金を出します。
         ということは、市場でだぶつかせたりしてるのは国の責任ではなく、流通に出してる補助金目的としている業者が、市場にも出しているから悪いといってるようなものです。
         木を伐って、腐らせてもいいというのが、今の行政林業らしいです。
         けれども、腐らせて、山主さんが納得するとでも思ってるのでしょうかね? しかも補助金だけで食っていけるくらいの金額を出してるならともかく、息が出来てるだけましだというような、おこぼれ予算でよく言えたものです。
         



         そんなこんなで、働いておりました山には、やまんば伝説があり、昔、里に下りてきては、子供をさらっていたやまんばだそうで、村の人々を悲しませていたそうですが。きっと、やまんばにも、それなりの理由があったんだろう。子供を病気で亡くした、とかして、悲しみのあまり山に入り込んで、実はさらった子供を大事に育てていたとか。たぶん、村人から仲間はずれにされたりして、山に逃げ込んだりとかしてとか、ある意味、山は逃げ込む場所なんかもしれんですね。今回、謎の多いやまんばにはあえませんでしたけれど、林業の謎は目の当たりにできたように思いました。

         また、週明けから、今年いっぱい、電線の保安伐採です。文明と自然の融和伐採をしてまいります。こちらの方が、いくらか理に適っている伐採業務だと思います。樹木との共存、たしかに人間が中心ではあるけれど、れっきとしたアーボリカルチャーが出来る喜びがあり、おのれがやる仕事の意味や意義も見いだせやすいのじゃないかと、思ってますネ。
         気が付けば、木登りの伐採も10年目を迎えています。こちらは、感傷どころでなく、希望が見え始めています。9月から若い衆がひとり来ます。木登り伐採がしたい人がいれば、ご連絡ください。但馬では毎日できますよ。
         

         


        山に戻ります。

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            山に、帰ります。
           と言っても、岩壁を登るとか、海外の恐ろしい山の遠征だとか、あのルート、このルート、危険極まりない、リスクを求めての冒険とかではありません。
           そろそろ、また、重たいチェーンソーや燃料やワイヤーだのを担いで、純粋に山仕事をしようと思っての、山戻りなのですよ。
           論理や哲学や、幾重にも被せ浴びせかけさせられる自己、個性、反論、言語の応酬、そんな小難しくて、とどのつまりは自己弁護?の境を越えて、明日、明後日、日々、日常。が、人の生きる純粋な本筋なのかもしれない、ナ。
           僕のような人間は、
           「少し、木だしをしましょうよ。集材機の調子も見がてら、やらせてもらえたらありがたいです」
           と、そんな、提案をしてみることが、汗を流す純粋な日常に立ち返らせてもらえるきっかけにもなった。心底、ありがたやありがたや。
           日常をときめかすことは、むずかしい。ネ。
           けれど山仕事は、まだいい方だと思います。職人技が生きてきますし、野山で働けるものですから、これもある意味、アウトドアです。時々、現場でコーヒーを沸かしたり、ラーメンを作ったり、たき火をしたり、しながら、堂々と樹々を伐る。それこそ、一日で何百本も伐り倒して、広大な面積の山をデザインするように施業をする。そうすることで、ようやく自然への愛着も生まれてくるものです。両手には破壊と愛着とがあります。右手には人間のエゴ。左手には樹木への敬意。その両手がバランスよく生きてることに、気付かされます。人は、自然の中で生きる生物なのだと感じる時があるのだナ。自然を相手に仕事をすれば、人間の体が、フルに活用されるのだヨ。


           人員もまた、新しく、組をくむことになりそうだな。
           それはそれで、人間同士だから、面白い。
           毎日、山で遊んでると思えば、いい。
           楽しくなければ、仕事じゃ、ない。
           楽しくなければ、遊びでも、ない。
           どちらも、いろいろなリスクがなければ、クソ面白くもない。
           ま、そういう、ものなんだろう、ナ。

           


           
           
           
           
           
           
           


          ホウ、ホウ、ホウ

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             ところで、ホウ ホウ ホウ ってなんだかわかりますかね?
            言葉の音源からいうと、フォッ〜フォッ フォッゥ〜。なんですけれど、
            山で働く人の叫ぶ声なんですね。
            京都北部から山仕事をはじめて、いままでに北海道から東京、近畿では滋賀、兵庫、福井、中国地方は広島、四国は徳島の、限られてはいますが、山師の知り合いと、働いたり、酒を飲んだりしてて、不思議だなあ、と思ったことがあるのです。
            みんな、だいたい、フォッゥ フォッゥ フォッゥ〜と叫ぶんです。
            休憩のとき、(通常休憩のことをタバコする)という。ほかに、帰るとき、居場所を知るとき、知りたいとき、危険な時、危険を伝えたいとき、どんな些細なことを相手に伝えようというときでも、まずは、話しかける前に、フォッゥ〜 と叫ぶんです。山ではほとんどが一人仕事で、離れて作業してるからでしょうが、(甲高く、裏声なのかな、とにかく甲高く)相手が気付くまで、叫びます。そして、気付いたほうも叫び返します。これが原始人からつづく意思疎通の極致なんだろうとふと思ってしまうんです。

            そして、これが、ほぼ、全国的に共通していることに笑ってしまったのです。
            おたくも?あなたも?君たちも?俺らもだよ。というふうに。叫びあっていたんです。
            ようするに、山やってるやつらは、みんな同じだということでした。
            そんで、それは、原始人と、なにひとつひけをとらない行動を、知らずのうちに身に
            着けてしまっているということに驚いてしまうのでした。ということは、裏を返せば、
            意思を伝えるという仕草は、原始人だった時代から、なにひとつ進歩していないということ
            なのかもしれないのです。

            われわれは、いまだ、IT機器を持たなければ、ただのホモサピエンス同然なんだね。
            そこんところを、よく理解して生きていくと、人生もたのしいものなのだよね。
            この響きにも似た、極上の幸福感は、青二才にはまだまだ理解できない幸福感なのだ。



            ↑ 
            滋賀県B林業のアジトにて、下手こいたら、死んでしまうかもしれない仕事を
            してるとは思えない、この、たこ焼きに夢中になるおっさんたち。
            組みを組んで山から山へさすらうぼくたち。






            三島は天才

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               今週は、山仕事をしながら
              三島由紀夫氏のことを考えていた。
              「ちゃんと仕事しろよ」
              という声が聞こえてきそうだけれども、
              なんとなく。

              むだ死に むだ死に むだ死に
              合理主義に負けちまった
              むだ死に むだ死に むだ死に
              資本主義に負けちまった

              ハンバーガー食って
              人前で化粧して
              化石燃料ぶっ放して
              笑ってる 踊ってる ふりしてる?

              アイデンティティー アイデンティティー アイデンティティー
              無駄死にを見過ごした数十年
              アイデンティティー アイデンティティー アイデンティティー
              無駄死にを忘れ去った数十年

              脳みそ理解不能
              内臓飛び出ちゃってるよ
              ナイフは自分を切り裂くもの
              ナイフは自分を切り裂くもの

              むだ死に むだ死に むだ死に
              欧米列強に負けちまった
              むだ死に むだ死に むだ死に
              いつまで真似するつもりなの?

              アイデンティティー アイデンティティー アイデンティティー
              無駄死にを見過ごしてゆく数百年
              アイデンティティー アイデンティティー アイデンティティー
              無駄死にを忘れ去ってゆく数百年

              経済不況を取り入れる?
              行き詰まりを取り入れる?
              これからもカルチャーだけは取り入れる?
              今頃じゃお手本先も行き詰まってる?

              ………

              兵庫県西脇市の山は、雪もなく快適に、山仕事が進んでいます。
              順調にいけば、二月半ば過ぎには終わる見込みです。
              週末、京丹後に帰ると、大雪でした。
              山陽と山陰、一文字違いのこの地方は、なぜにこれほど気候が
              違うのでしょうか?

              わけのわからないことを書いてしまい、申し訳ありません。
              たかだか、ブログなんで、お許しを!!!!!




              冬の足音

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                 秋は、なにかと祭りごとが多い。

                地区の秋祭り。区民運動会。区民駅伝と。
                地区の体育委員をしておりますが、旅がらすでありますから、負担は、家できりもみする妻が負うことに。
                わたしは、滋賀の山に入り浸り、家を空けていることが多くなってきております。それでも妻は、やりたいことをやりなさい、と、言ってくれます。家のことは、任しなさい。と、言います。それで、わたしも図に乗ってしまうので〜す。

                山も色づきだしておりまして、長野県の磁場0地帯では、カエデの落葉で地面がにぎやかになりつつありました。ここで、友人主催で、アーボな仲間が大集まり。関東、関西圏から、樹木依存症
                の、樹木医。アーボリストたちが、一堂に集まったのです。いや〜。楽しかったね。



                そのあと、福井県には、ツリーハウスの仲間であった友の墓参りにいき、お兄さん、おふくろさん、おやじさんに、会うことができ、墓前で手を合わすことができて、ふっーとなにか肩の荷がおりたとでもいいましょうか、亡くなって、1年以上が経ってしまい、やっと行けたことに、安堵いたしております。自宅を建て替えるとのことで、つぶされる数日前に伺ったらしく、荷物を出すのを手伝ったりしながら、彼が20歳くらいまで過ごした家を訪れることができて、感無量です。彼のルーツ、奴の魂をビンビンに感じることができ、彼の声までもが聞こえてきたような気がいたしました。

                滋賀での生活は、毎夜が酒盛りに近く、山師たちと食住をともにし、野菜や肉やなんやかんやとぶち込んで、鍋料理ばかりつついております。

                山仕事の方はというと、少し苦戦しておりまして、間伐ではありますが、除伐の予算は出ないということで、除伐はサービス仕事というようなことになっています。普通の間伐の1haとは比べられないほどに手間を喰っておりますよ

                で、自宅には2週間に一度のペースで帰っています。
                この日は、家庭菜園で、ひと時を過ごしました。柿の実も鈴なりに出来ていて、食べきること出来ないね〜とか、今年はなりどしだね〜とか、妻と喋っておりました。

                この日の夜は、大根やカブの間引き菜や、ちょっと硬くなったピーマンや赤色に熟れたピーマン。わさわさに育ったサニーレタスなんかが、食卓に並びました。

                さてさて、また明日には、滋賀に移動です。

                いつものように、家族を、ギュッと抱きしめて、ちょっとした小さな、チイサナさようならをするのです。今度、帰ってくるまで、がんばろうねって。上の子は、ちょっと我慢しながらも、素直に、
                「うん」
                と言ってくれますが、
                下の女の子は、
                「お父さんバカ〜。キライー」
                と、これまた正直に言ってくれます。
                どちらも小さい体で我慢しているのでしょう。
                もう一度、ギュウと、抱きしめてしまうのです。
                なんか、秋ふかしなんで、うすらさびしいですなぁ〜。








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